2014
2014
パラオ共和国は日本の南の隣国です。日本とパラオは、国連など国際機関の場や捕鯨問題などで常に協調してきた親密な友好国であり、友好関係の基盤には深い経済的な結びつきと、長い歴史的な絆があります。
第一次世界大戦後、日本はドイツから南洋群島を引き継ぎ、第二次世界大戦の終わりまで統治していました。この時代に、南洋庁が設置されたのがパラオのコロールです。
南洋群島には、数万人の日本人が生活し、農業や漁業、養殖業などを営んでいました。このため、現在に至るまでパラオの言語や文化には日本の影響が見られます。また、終戦後も、独立時の大統領である故クニオ・ナカムラ氏など多数の日系人が活躍してきました。日本統治を経験した世代が高齢化する中、日本とパラオの文化的な絆の維持は重要な課題となっています(在パラオ日本大使館HPより引用)。
パラオは観光立国であり、毎年日本からの観光客がたくさん訪れていましたが、コロナの影響もあり現在は観光客が激減しています。また今年は日本とパラオの外交関係掛立30周年の記念年であり、この2国間を結ぶ壁画制作ができないかと思い、今回壁画プロジェクトを企画しました。
今回壁画を描かせていただいた場所は、国唯一の国際空港であるパラオ国際空港です。この空港は日本とゆかりが深く、1944年に大日本帝国海軍が航空基地として建設したのが始まりです。戦後は民間飛行場となり、1984年に完成した旧ターミナルビルが手狭になった為、日本国政府の無償援助によって2003年3月に新しいターミナルが完成しました。2019年からは日系企業が空港運営に出資、参画しています。パラオ空港を訪れる全ての人が目にするよう、この空港の出発ロビーと到着ロビーの2箇所に壁画を制作しました。
パラオにはこんな伝説があります。
「遠い昔、海の真ん中に巨大なシャコ貝が住んでいました。そのシャコ貝の中には小さなエビのような生き物が住んでいて、ラトミカイクと呼ばれていました。女性神ラトミカイクは海で多くの生き物を生み出し、その中には陸地にも海にも住むことができる人々が含まれていました。彼女の子供たちは海の砂を積み上げ、海の真ん中に小さな砂の島を作りました。その後、彼女はさらに3人の子供を産み、そのうちの1人を空に住まわせ、残りの2人の子供たちを小さな島に送りました。その島に住んでいた2人の神の子のうちのひとりが、ウアブです。ウアフは生まれた時から体がとても大きく、成長とともに島の食料を食い尽くさんばかりでした。困り果てた村人たちは相談し、彼を殺してしまうことに決めました。母親は泣きましたが、このままでは村中の人々が死んでしまうことを考え村人たちに従いました。そして、村人たちは大きな斧で彼の身体を斬りつけました。
その切り離された体はそれぞれになり、今のパラオの起源となりました。」(壁画に関する監修はパラオ政府文化歴史保存局にご協力いただいています)
この神話から着想を得て、シャコガイが作った最初の島に3人の神様が降り立った様子を壁画の中央下に描き、その上に大きなOver the Wallの太陽を描きました。太陽の周りにはパラオを形成する16州の旗が描かれています。Over the Wallのコンセプトは全ての世界は同じ太陽のもと暮らしているという意味が込められており、今回もこれまでの国々で描かれた太陽が描かれています。そして今回の太陽はパラオの国旗を連想させるため黄色になっています。パラオの国旗のモチーフは海と月ですが、この壁画を遠くから見ると国旗を思わせるデザインとなっています。
パラオでは伝統的に、様々な場所に魚の絵が描かれています。
伝統的な家屋「バイ」や、現在も利用されている国会議事堂の壁面などにも様々な海の生き物を見ることができます。今回は、そんなパラオの人々にとって身近なモチーフである海の生物を子供たちに描いてもらい、それを壁画に取り入れました。
パラオの子供たちと、次の開催地オランダの子供たちに届けるフラッグを制作しました。このフラッグは来年オランダに届けられ、オランダから次の国へリレーされます。
けたたましい雄鶏の鳴き声と共にパラオの朝はやってくる。
潮に焼けた日産の車はマフラーが改造されていて、けたたましい音が鳴り響く。舗装されていないデコボコ道を車でノロノロと進んでいくと、近所の犬たちがいつものように寄ってくる。
ミヌクがその犬たちを払いのけつつ、巧みにハンドルを操作する。ようやくデコボコ道を抜けてメインストリートにのると、今度は前日の嵐で落ちた椰子の実を避けながら走らなければならない。今朝は久しぶりに晴れたおかげで、大きく右にカーブしたところでエメラルドグリーンの海が目に飛び込んできた。
KGブリッジを渡ったところで車を止める。円安で予算が厳しい僕たちは、近隣で一番安い「Save More」で3ドルの弁当を買うことが日課になっていた。とんかつ、カレー、唐揚げ、パラオでは今でも日本食が日常的に食べられている。
「アリー!!(やぁ!)」
空港に着くと職員たちが声をかけてくれる。描き出した当初は無関心だった彼らとも、少しずつ仲良くなってきた。時折仕事をそっちのけで、壁画の進行状況を興味深く眺めながら話しかけてくる。
「やっぱりナポレオンフィッシュを入れなきゃだめだよ!」
「マヒマヒはすごく美味しいんだぜ!」
彼らの魚の知識には驚かされる。80種類以上の子供たちが描いた魚も、そのほとんどを言いてることができた。ちょうど一年前に訪れたケニアで出会ったマサイ族と同じように、彼らは身の回りの生き物に精通していた。その土地で生きる上で必要な知識を彼らは自然と学んでいるのだ。
今回の壁画は、日本・パラオ外交関係樹立30周年の記念事業として、日本と縁の深いパラオ国際空港に描くことになった。
テーマにしたのはパラオの豊かな海洋生物と、パラオに伝わる伝説。国の玄関口となる空港にパラオの魅力が一杯に詰まった壁画を描きたいと、パラオ政府と連携をとりながら図案を考えていったのだが、実際に壁画制作を始めてからは少し戸惑いもあった。これまでのOver the Wallでは厳しい環境にいる人々をどう勇気づけるかをテーマに、笑顔にしたい人の顔を思い浮かべながら描いていたが、今回はその対象となる人の顔が浮かばない。出発ゲートと到着ゲートの2箇所に、合計30メートルに及ぶ壁画を4週間かけて制作していたが、制作中の交流はこれまでで一番少なかった。
空港は日常的に訪れる場所ではなく、生活に寄り添う壁画とは言えなかった。しかし終盤になってくると、チェックインを済ませた観光客が旅を振り返りながら壁画に描かれた魚を指さしていたり、出迎えに来たパラオ人と帰国した家族が壁画をバックに記念写真を撮る姿を見るようになった。ある時この壁画は、この国を訪れる人々の最初の思い出と最後の思い出になるということに気がついた。今回一緒に壁画制作をした子供たちの大半は、将来パラオを出る。人口18,000人ほどしかいないこの国には、産業が少ないからだ。いつか彼らがパラオに帰ってきた時に、子供の頃に描いたこの壁画と再会する姿を想像すると、この壁画の持つ意味は大きいと思った。
壁画を見たスランゲル・ウィップス・ジュニア大統領は、「こんなに素晴らしい壁画を、パラオのために描いてくれてありがとう。この絵にはパラオの全てが詰まっているよ」と言ってくれた。
その瞬間、見えなかった「笑顔にしたい人々の顔」がはっきりと目に浮かんだ。
2024年8月8日
Over the Wall 世界壁画プロジェクト
アーティスト
ミヤザキ ケンスケ
プロジェクト期間 : 2024年7月2日 〜 29日
順不同
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